はじめにの前に
- 本記事は2022年末に書いて、2023/03くらいに公開する予定だったけど完全に忘れていた記事です。
- 夏くらいに気づいたけどまぁいいかと思って放置してたけど、せっかくなので今(2023/12/31)公開してみます。
- 公開時点では現職(この記事でいうところの転職先)に1年いるわけですが、その話はないです。
はじめに(概要)
- 株式会社ALBERT の最終出社が2022/12/20
- 2017/07/01から2023/03まで所属。有給休暇の残が多かったので実質5年5か月くらい(以下5年半と記載)
- 今はアクセンチュアに取り込まれたので存在しない
- データ分析とかAIとかそういうことやっていた
- 私の職種はエンジニア
- 転職先は 株式会社STYZ
- 2023/01から所属
- 非営利団体向けの寄付フォーム開発とかしている
- 私の職種はエンジニア -> エンジニアチームのリーダー
- 前回の転職は↓
- 本記事は5年半間の振り返り、成長記録を書いたポエム
やってたこと
- 全体で5年半のうち、社内案件1年半、常駐4年でほとんど常駐
- マネージャ業務はほぼなし。1エンジニアとして設計して、コード書いていた
- 厳密にいうとメンバの管理業務はあるにはあったが、同チームどころか部署も違うし職種も違うので建前的な奴。
- 詳細も書いたけど長くなったので下のほうに移動した
エンジニアとしての自信
前回の転職時には 私はそれなりにコード書けるという自信 としていましたが、これは中堅エンジニアとしてやっていけるかな。くらいの自信でした。ただ、今はシニアエンジニアとして自称できるくらいの自信は持っています。 狭義のエンジニアとしてみると技術面が強く出ると思うため良くて1.5流かなと思いますが、技術面以外の部分でエンジニアとしての自信を持つことができました。具体的には他者の教育(特にエンジニア以外)であったり、エンジニア文化*1の創出や向上、エンジニア職種以外の方へのエンジニアリング技術の啓蒙やエンジニアの使い方(扱い方)、一緒に働くことのメリットを伝えることのように、組織へ貢献することができるようになりました。っというか、これ自体がエンジニアとしての価値になるということがわかったということが成長かなと思っているところです。
やりたいことをやる
先日の記事にも書きましたが、自分のやりたいことをやるということをできるようになりました。こう書くとちょっと響きが良くないですが、言われたことをやるだけではなく仕事を作り出すことで自分のやりたいことをやる。組織は基本的に利益がでれば良いので、自分がやりたいことを提案する際に組織に利益となるということを主張すればよい。言い出しっぺが大なり小なり絡むことになるのでやりたいことができると。また、利益になることを提案したとして評価されるところもポイント。自分のやりたいことと組織が向いている方向*2が同一である前提ではありますが、そもそもそれが異なっていたらその組織にいる必要はないという話。私自身は世界を変えるような大きいことをしたいということはないため少しの働き方でやりたいことができるというのもあります。視座が上がることで難しくなるのかもしれませんが、その時は別の動き方もあるのかなと思っております。とりあえず、動き方が変わってきたというのがポイント。
人に教える
これも前回の転職時にも書いたことですが、私は人に教えることが好きで適性がありそうです。純エンジニアとはほぼ仕事をしていなかったのですが、逆にエンジニア以外の職種の人とエンジニアリングの仕事をする機会は多数ありました。そのほぼ全てで一緒に働く機会が持ててよかったという評価を頂いたのは自信となりました。結果的に道場長や先生という肩書?で呼ばれるようになったのも恥ずかしいですが嬉しいことでした。*3
※以前の転職の時にエンジニアの講師として声をかけていただいたのですが、そちらの道でもまあまあうまくやれたのかもしれない
まとめ
飛躍的に伸びた5年半でした。反省点はありつつも大きな失敗もなく貴重な経験を得ました。また、多数の人と繋がりが持てたことも重要です。*4割と今までの会社では仲は良かったものの次(?)に繋がるという形ではなかなかいかなかったのですが、今回は開発メンバーという以上に関われた方が多くいたためよりよい関係を築けていけそうです。 今後も山pの活躍にご期待ください!
やってたこと詳細
社内案件内訳(時期に被りあり)
- プライベートDMP(Data Management Platform)開発、保守(3カ月)
- 入社直後に慣れるまでとりあえずエンジニアとして入った感じ
- システムの作り自体はそれほど得るものはなかったが5年間の基本となるデータ分析の基礎となる情報を色々学べた
- 作りが悪いと言っているわけではない
- データの持ち方、バッチシステムの作り方、通常?のよくあるシステムとデータ分析系のシステムとの違いとか
- 社員のエンジニアと働いたのはこれが最初で最後
- ここだけ切り取ると酷い境遇だったように見える(そんなことは思ってないです)
- プライベートDMP導入企業のPM(6カ月)
- アサインされてすぐにPMが体調不良で抜けたことによる交代だったのでかなり焦った
- 既に導入から数年経っていて最終的に企業側で自前?で作ったものに移行してClose
- クライアントと話して色々やるのは経験になった
- 入った時からCloseが見えていたので色々目こぼししてもらいつつも、過去の遺産を漁る作業が多かった記憶
- Close作業は多分初で、色々面倒なことあるなーと思った記憶あり
- 割と大きいクライアントだったので普段は温厚でもいきなり圧が凄いときがあった
- 分析案件PM(9カ月)
- 定型レポートの提出的なお使い業務と聞いていたのに、実際に会ってみたら分析についてサポートしろよと言われて、えーってなった案件
- やれることはやっていたという自負はあるが、そもそも分析者ではないので最終的には担当者交代となった
- 信頼関係はできていたと思うので完全に実力不足というか、私をアサインしたのが悪いと言いたい
- 上司への相談、アラート上げるのが遅かったという反省は強くある
- 学習モデルPOCからのシステム開発案件PM(3カ月)
- 大変という言葉でしかない
- 新規で作っている大きなシステム内で使われる1機能、APIみたいなイメージ
- POCで作った学習モデルを組み込んで予測するという話が、クライアント的には学習モデルを作るという話になってて笑った
- 上位の大きなシステム作っているベンダーに界隈の有名人がいてその人もクライアントに振り回されていた
- 今から考えるとなんであんな案件をうちでやっていたのだろうか。最初はPOCだけやるつもりだったのに上位のベンダーが無理って言ったのか?
- 何もわかっていないのに承認するんだなーっと、要件定義の難しさを知った
- とりあえず期間が短すぎて最低限のことしかできなかったけど、1つのシステムを作り上げたという自信には繋がった
- 学習モデルPOCからのシステム開発案件PM(2カ月)
- これも大変だった
- POC段階でほぼシステム的に動くものはあるからと2カ月になっていたが。。。
- データサイエンティストとエンジニアとの違いを実感した案件
- 確かに動くものはある
- POCとして条件が色々ある状態のものであり正常系のみ
- 細かい部分も考慮されていないので結局仕様を読みつつ再実装が必要
- 学習モデルやAIを使用するPOCからのシステム化案件をこの後も色々見たけど、全てのアンチパターンを踏み抜いていた案件だった
- 他にも細かい案件いくつか
- 月5万の保守案件
- 遥か昔の案件システムの極々一部の保守
- クライアントもこちらも誰も仕様を知らない
- クライアント側に手動作業があるのだが催促してもやってくれない(多分使っていない)
- 更に値切られたときにはなんで案件切らないのかクライアント、社内ともに問い詰めた
- 月5万の保守案件